秋に俳句の授業

こんにちは!

今日は日中から青空が広がりました。

秋晴れといった感じがします。

冒頭の写真は塾の前で撮ったもの。

これからさらに秋めいてきて、寒くなって冬になって、そしてあっという間に受験になるのだなぁ・・・と思いました。

学問の秋とも言うくらいですから、当塾でもますます勉学に励んでいきたいものです。

 

さて、先週の話ですが3年生の国語の授業で俳句を扱いました。

 

そのなかで

「俳句は字数が少ない分、読み手の自由な解釈で鑑賞する」

という文章がありました。

 

読み手の自由な解釈・・・というと、つまり「読む人によっては解釈に違いがある」、ということになります。

 

そこで次の句を生徒たちに紹介してみました。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

明治を代表する俳人、正岡子規の代表作となる句です。

有名な句なので、聞いたことがあると言う方もいると思います。

 

解釈は色々あるとは思いますが、メジャーな読み方としては

「柿を食べていたところでタイミングよく鐘が鳴った、法隆寺の秋の風流さ」

 

となるでしょうか。

 

とりあえずこの解釈は伝えないで、俳句だけ生徒に示してみました。

 

そして生徒の1人にどう感じたか聞いてみると・・・

 

 

「おいしそう!」

 

・・・正直でよろしい

 

一見単純すぎるように見えるこの解釈も、正解の一つです。

 

おそらくこの句を作った正岡子規も、「鐘」と「法隆寺」を添えることで秋の柿の豊かな風味を表す意図があったかもしれません。

 

その意味では、この生徒は子規の意図にうまくハマったとも言えます笑

 

ちなみに私個人としては、「法隆寺」という言葉を最後に置くことで、この句に豪華さを感じてしまいます。

 

ただ柿を食べているのではなく、世界最古の木造建築である法隆寺で食べているのですから。

 

わざわざそんなところを選んで柿を食べているのだとしたら、豪華なことだなぁ・・・と私は感じてしまいます。

 

このように、俳句は読む人によって解釈が自由な表現と言えます。

 

とはいえ国語の問題という点ではどのような解釈でも許されるかというと・・・そうではありません。

 

さきほどの俳句で、「夏の暑さの厳しさ」という解釈を答案に書いたら、さすがに点はもらえないでしょう。

 

解答には理由が必要です。

 

周りを納得させられるだけの理由がなければ、それは解答になりません。

 

解釈は自由でも、解答となるとそうはいかない・・・テストの難しいところであります。

 

さすがに先程の解釈は無理があると思いますが、俳句に書かれていることが分からなければそもそも解釈になりません。

 

生徒たちに俳句の問題を出したところ、書かれている言葉の意味や季語がわかっていませんでした。

 

俳句には日常で使われている言葉たちが題材にされています。

 

問題の中には「露(つゆ)」や「菊」という言葉が使われていましたが、それらが何を意味するのか、何の季節の季語なのかということを生徒たちはなかなか理解できていませんでした。

 

勉強というのは机の上ばかりでやるものではありません。

 

日常で何気なく使われる言葉たちに注意を払い、季節を感じられる言葉を意識していこうと授業で伝えました。

 

教室を離れた場面でも言葉の感覚を養ってもらえれば、成績も上がると思います。

 

そうした働きかけを、これからも続けていきたいと思いました。

 

 

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