こんにちは!
去る3月12日(金)は、茨城県立高校入試の合格発表日でした。
私が教えた生徒たちは合格したのかどうか大変気になるところなのですが、その日は勤務日ではなかったので結果はいまだにわからず・・・。
明日には結果がわかると思うので、いまからドキドキしています・・・。
合格と不合格の境界線
受験には合格する人と不合格の人が必ず出てきますよね。
合格と不合格の差は受験校が定める点数を取れていたかどうかで決まります。
そこに1点でも足りなければ合格はできません。
非情な世界ではありますが、なんの主観も入らない分公正な競争とも言えますね。
でもふと思うのです。
合格する生徒と合格できなかった生徒の間に、何の差があるのだろう?と。
受験とは不思議なもので、「こうすれば落ちる!」というのはあっても「こうすれば合格する!」というのはなかなかありません。
遅刻する、忘れ物が多い、それらを悪いと思っていない・・・などは、「こうすれば落ちる!」の代表です。
元々のレベル以上のところは望めないでしょう。
しかし遅刻もせず、忘れ物もせず、そういうことがあった時はきちんと謝る・・・そういう立派な生徒でも、必ず受かるというわけではありません。
常にベストを尽くして最善の努力をしたとしても、合格に届かないことはあります。
がんばっても無駄なのか?
「こんなにがんばったのに合格できなかった。いままでのことは無駄だったんじゃ・・・」
がんばっても合格できなかったら、そう思ってしまうかもしれませんね。
でも、私は思うんです。
無駄な頑張りなんて、ひとつもないって。
嘘だと思いますか?
よくある慰めだから、スルーされてしまうかもしれません。
でも嘘じゃありません。本当です。
だってその頑張りって、高校受験で終わりなわけではありませんよね。
高校でも勉強はするんですから。
がんばっても順位が上がらなかった中学時代の話
この話は自分の勤務する塾でもたまにするのですが。
私は中学の時に、成績の順番が45番目くらいでした。
当時は学年で240人くらいいましたから、上の中くらいでしょうか。
あるとき思い立って、「めちゃくちゃ勉強して順位を上げよう!」と思ったんですよね。
理由は今でもわかりませんが笑
それでいつもより念入りに勉強計画を練って2週間くらい一心不乱に勉強したんです。
ところが結果はというと、40番ちょうど。
あんなにがんばったのに、5番しかあがらないなんて・・・。
そのとき中学生だった私は、さとりました。
「僕は世の中でもこれくらいの順位なんだろうなぁ」って。
がんばっても上の上には入らず、その一つ下くらいのランクに落ち着く・・・。
まぁトップにはなれないけど、このくらいのほうが自分にはあってるのかなぁ。
そんなふうに中学生ながらに達観してしまっていました。
それ以来一心不乱には勉強しなかったのですが笑、でも周りの環境に恵まれたのか腐ったりせずに勉強を続けました。
めちゃくちゃ順位が上がった高校時代の話
高校は自分の実力に合ったところを受験し、合格。
そのあとすぐに入学後のテストがあったのですが・・・。
そこでは20番になりました!!笑
高校受験後は当然ながら(?)勉強なんかしてなくて準備もひとつもしていなかったのですが(なんならテストの存在を当日初めて知ったかも笑)、この結果にはびっくり。
運もあったと思うのですが、もし私が中学生の時にさっぱり上がらない順位に絶望して勉強を投げ出していたら、この成績は取れなかったと思います(その高校にも受からなかったかも?)
高校最初の出だしがいいと、その後の展開が楽になります。
私は「自分はやればできる」という自信が得られたので、勉強で少々わからないことがあっても「どうせ周りもわからないだろうし、いまはこれでも大丈夫だろ」と謎の余裕を持っていました笑。
そもそも高校って同じ学力に人たちが集まるので、その中で頭ひとつ抜けるとけっこう有利なのです。
中学の時に絶望しなくてよかったなぁ・・・としみじみ思いますね。
積み重ねたことを、見つめる
前の記事でイチローのことに触れたことがありましたが、今回もそのイチローについて。
イチローは現役当時は打率よりヒット数を意識して打席に立っていたそうです。
その理由について「ヒットの数は、積み重ねで得られるから」ということを話していました。
打率の場合、打てないことが重なると下がっていきます。
しかしヒット数は下がることはありません。
打てば上がりますが、打たなくてもそのままです。
勉強だって同じことだと思うんですよね。
がんばって勉強したことが、なくなることってないじゃないですか(忘れることはありますが・・・復習もしましょうね)。
合格不合格は時の運もあります。
その日はいつもより調子が悪かったとか、受験者のレベルが例年より高かったとか。
上を目指せば目指すほど、そういう微妙な差異が合格のボーダーラインを揺らしてしまいます。
でも勉強して積み重ねたことは、そういう微妙な差異をものともしません。
そのときうまくいかなくても、違うステージで威力を発揮することがあります。
だから、積み重ねたことを見つめて欲しいのです。
合格した人はたくさん喜ぼう。そうでなかった人は、たくさん落ち込んで、また歩き出そう
合格した人は、本当におめでとうございます。
これまでの積み重ねをがんばってやってきて得られた合格は、一生の財産になります。
ぜひこれからもその積み重ねを大切にしてください。
そして惜しくも一歩届かなかったみなさん。
とても残念です。
この仕事をしていても、いまだにどういう言葉をかけたらいいのか、わかりません。
どんな慰めも、頑張りに基づいた不合格の前では無意味であることを知っているからです。
この時期になるたびに、合格した喜びも、不合格だった時のつらさも、胸にきます。
でもやっぱりこれだけは言いたい。
積み重ねたことを、認めてあげて欲しい。
不合格を目にした当面は、たくさん落ち込んでいいんです。
たくさん泣きましょう。
たくさん引きこもりましょう。
でも、気持ちがすこし落ち着いたら、自分の頑張りを認めてあげて欲しいのです。
「あぁ、自分落ちちゃったけど、でもがんばったよなぁ」と。
そういうふうに認めてあげる姿勢があれば、がんばった自分は救われるはずです。
それからまたゆっくり歩き始めましょうよ。
大丈夫、あなたは弱いままのあなたではありません。
まとめ
自分の生徒が全員合格すればいいのですが、実際にそんな理想通りにはいきません。
いままで同じように頑張ってきた生徒の間に、合格と不合格の線が引かれる・・・つらいことです。
でも、がんばってきたこと、積み重ねてきたことに人を区切る線はありません。
どんな結果であったとしても、頑張ってきた自分を認めてあげて、4月からは笑顔で高校生活を迎えて欲しいと思っています。