勉強することの意味〜原爆忌に寄せて〜

こんにちは!

毎日毎日暑いですね💦藤原学習塾も朝から晩までエアコンがフル稼働。しかしドアや窓を開けるとむあっとした熱気が入り込んできます。生徒たちには行き帰りの暑さにも気をつけてほしいです💦

 

さて今日8月6日は広島に原子爆弾が投下された日。79年目の原爆忌を迎えました。

 

今年の三年生たちには、昨日のうちにこのような話をしました。

 

「明日6日の8時からNHKでやっている広島平和記念式典を見てから、塾に来てほしい」。

 

普段はこのような話はしないのですが、今年については特別でした。

 

というのも、先日の国語の授業のこと。「挨拶」という詩を扱った時のことでした。

 

この詩は原爆を扱ったものです。

 

原爆の惨禍があったにもかかわらず、人々はそんな過去や今なお核の脅威があることなど忘れたかのように過ごしている。しかしあの時原爆の犠牲になった人々も、我々と同じように過ごしていた。原爆が投下された8時15分は、毎朝やってくる。にもかかわらず、私たちは「美しく油断している」・・・。

 

このように過去の悲劇がいまなお我々の生活のそばにあり、再現されようと待ち構えている・・・そのことへの警鐘を鳴らした詩です。学校では9月に扱うことになっていますが、やはり原爆忌の前に教えることに意味があるだろうと思い今年は前倒しで扱いました。

 

藤原学習塾は授業の後に毎回テストを行なっています。今回のテストの中に「原爆が投下された年月日はいつか答えなさい」という問題があったのですが・・・これがわからなかった生徒が何人かいました。

 

これは私の中で大変な衝撃でした。確かに授業の中で特に1945年8月6日というのは強調しなかったのですが、「歴史でも扱ったことだし、それくらい大事な日は覚えているだろう」などと思っていました。しかし大いなる誤算でした。

 

間違った生徒の答案には「反省!!!」と大きく書いておいたものの、どうも釈然としません。確かに私が改めて教えれば覚えてくれるかもしれませんが、それはきっと今まで教えてきた勉強知識の一部として受け取られるでしょう。確かに成績アップに必要な知識の一つではあるのですが、それだけでいいのか・・・という思いがよぎりました。

 

勉強とは机の上だけ、教室の中だけで覚えられるものではない。体感として身に刻まなければならないものもあるはず。それには私の言葉だけでは不足が多いと思い、今日の広島平和記念式典を生徒たちに見てもらうことにしたのでした。

 

そして今日。言った通りに見てくれたか聞いてみたところ・・・なんと全員が見てくれていました!すばらしい!見ていない生徒もいるはずなので、その時はどんな小言を言ってやろうか・・・などと考えていた自分が恥ずかしくなりました。

 

生徒たちはいろいろな感想を話してくれました。その日のことが「地獄」と表現されていたこと、式典で「平和への誓い」を読んだ小学生の子たちのこと、原爆死没者名簿に記載された方が34万人もいたこと(一人の生徒はその数字まで覚えていてくれました)、様々な国の代表がこの式典に参加していたこと・・・。生徒たちの視点で感じたことを、それぞれ伝えてくれました。

生徒たちからの話を聞いた後、私はこう切り出しました。

 

「成績が悪いことは罪ではない。しかし、無知は罪である」

「たとえば日本のことに興味を持ってくれた外国の人に『原爆が落とされたのはいつか』と聞かれて、『知らない』などと答えたらどうなるか。『日本人も知らないようでは、大したことではなかったんだな』などと思われてしまうかもしれない。今日君たちが聞いた原爆の悲劇が、忘れ去られることにもつながりかねない。そう、こないだ勉強した『挨拶』のような『美しく油断』している状態を助けてしまうんだ。記憶が薄らぐことは、次の戦争を呼び込むことにつながる。だから無知は罪なんだ」

さらに式典の番組では、英語を勉強して海外の人にも被爆の体験を伝えようとされている方の話も出ました。その方は60代後半から英語を勉強し始めて、今では英語での語り部活動をされています。そのことにも触れました。

 

「年をとってから勉強することはとても大変だけど、あの方は伝えなきゃいけないという強い気持ちがあったから英語を身につけられたんだね。そう、何かを伝えるには、力が必要なんだ」

「戦争のことだけじゃない。誰かに何かを伝えようとしても、その気持ちにふさわしい言葉や知識がなければ、伝わらないんだ。だから君たちにはたくさん勉強してほしい。いつか誰かに『このことを伝えたい』と強く思った時に、伝える方法がないだなんて後悔しないように。」

 

朝の授業が始まる前の、10分程度の話だったと思います。私の伝え方もまだ未熟だったかもしれませんが、いつか「あの先生がこんなこと言っていたな」と思い出してくれれば・・・と思いました。

 

私は塾講師なので、その仕事の最大の目的は「生徒の成績を上げること」に尽きます。その1点に向かって日々努力を続けています。

しかし教科書の中の勉強がテストの点数を稼ぐためだけのものなのか・・・というと、それは私は違うと思います。勉強とは、そんな無味乾燥なものではありません。

 

綺麗事を言ったりお題目を唱えたりするのは嫌なのですが・・・やはり勉強を通じて大人が子どもに伝えるべきことはあると思うのです。今回はそれが戦争や平和に関することでしたが、他にもたくさんあると思います。

 

日頃は成績アップを目指してビシバシと指導に奮闘しているのですが、今日はちょっと違う雰囲気での話をしました。生徒たちには、自分の気持ちでキャッチしたことを大事にして向き合ってほしいな・・・と思いました。(もちろん成績アップもちゃんとしてほしいですが笑)